施福寺の歴史
欽明天皇の時代(539〜571年)に葛城修験系の寺院として行満上人が創建したと伝えられていて、槇尾山寺と呼ばれていました。
宝亀2年(771年)、槇尾寺に一人のみすぼらしい修行僧が現れ、夏の間をこの寺で修業させてほしいと頼みました。この修行僧は客僧として迎えられ、熱心に修業に励んでいました。
予定の期間が終わり、寺を去る時に修業僧は帰りの旅費を乞いましたが寺の僧達は拒みました。すると修業僧は怒り出し「この寺は見かけは立派だが、真の出家者はいないではないか。このような寺はいずれ滅び去るだろう」と叫び出ていきました。
当時槇尾寺で修業していた法海という僧が驚き後を追うと、修業層は海上を沈まずに歩いていました。これを見た法海は、あの修行僧は自分らを戒めるために現れた観音の化身だったと悟り、千手観音の像を刻んで祀ったそうです。
中世に入ると後白河上皇所縁の経や仏像が奉納され、仁和寺の僧・行遍によって灌頂堂が建立されました。
南北朝時代には南朝方の拠点となり戦火に巻き込まれ衰亡していきました。
天正9年(1581年)には織田信長と対立した為に焼き払われましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって仁王門を始め伽藍が復興されました。
その後、徳川家の援助で栄え、真言宗から天台宗に改宗しました。
江戸時代末期に山火事で仁王門以外が焼失し、現在の本堂が再建されました。
施福寺の見どころ
施福寺は交通の整ってきた現在では唯一、山道を登らなければ辿り着けなく、西国三十三カ巡礼では最大の難所になっています。駐車場からは約1キロの急勾配の階段を登続け、普通の人で30分位、脚や体力に自信ない方だと1時間位かかります。
拝観終了時間までに到着しないと、せっかく登っていっても拝観できないので登山開始時間に注意が必要です。
ご本尊である弥勒如来、札所本尊の千手観音、結婚や転職・転居など人生の変わり目にご利益のある日本唯一の方遺観音、足腰にご利益がある馬頭観音、仏像曼荼羅など仏像がいっぱい拝めます。
方遺観音と馬頭観音は秘仏でしたが、現在では一人でも多くの方に拝んでいただきたいと毎日拝観できるようになり、仏像の写真を撮ることもできる珍しいお寺です。
施福寺の写真
施福寺のデータ
宗派:天台宗
御本尊(札所本尊):千手観世音菩薩
ご詠歌:深山路や 檜原松原 わけゆけば 巻のお寺に 駒ぞいさめる
所在地:〒594-1131 大阪府和泉市槙尾山町136
拝観時間:8:00~17:00(11〜2月 8:00~16:00)
※本堂の時間なので入山時間に注意
入山料:500円(別途本堂拝観:500円)
駐車場:有り
公式ホームページ:なし
(2025年12月現在の情報)
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