女人高野とは
明治5年(1872年)、明治政府から女人禁制の廃止が布告されるまで、高野山に女性は入れませんでした。
明治政府の布告があっても高野山では抵抗運動が続き、実際、女性が参詣できるようになったのは翌年からで、それでも過激な反対運動により、投石事件なども起きていたようです。
明治13年(1880年)に白昼のみ寺院内での休憩が認められ、明治16年(1883年)は一泊のみ許されるようになりました。
明治18年(1885年)には尼僧が高野山に住山できるようになり、翌年には高野山大学の前身である古義大学林に入学が認めらるようになったそうです。
一般の女性が居住できるようになったのは35年後の明治39年(1906年)だったそうです。
高野山の女人禁制時代に、高野山の代わりに女性の受け入れをしていた寺院を「女人高野」と呼ばれていました。
令和2年(2020年)に「女人高野」大阪河内長野市の金剛寺、奈良宇陀市の室生寺、和歌山九度山町の慈尊院、そして高野山の女人道と女人堂が認定されました。
女人高野の見どころ
女人高野は女性を見守り続け、安産、授乳、育児、乳癌平癒などを願って多くの女性が参詣しています。
女人高野では「女人高野切り絵参拝証」が授与されていて、4寺全てで授与してもらうと最後の寺院で専用の収納BOX「想い出の幸せ箱」が頂けます。※なくなり次第終了だそうです(2025年12月現在)

女人高野の寺院
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