慈尊院の歴史
弘仁7年(816年)、弘法大師が高野山を開創したとき、参詣の要所となる九度山に表玄関として伽藍を建立し、高野山の庶務を司る政所を置いて、高野山に行くための宿所と冬の間の避寒地として慈氏寺を創建しました。
弘法大師の母(玉依御前)は高齢になったので息子の開いた高野山を一目見ようと讃岐の国からやってきましたが、高野山は女人禁制のため麓にある慈氏寺に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していました。
弘法大師は母に会うために月に九度は必ず高野山から降りて訪ねていました。このことから九度山という地名がつけられました。
弘法大師の母が亡くなったとき、空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母の霊を祀ったそうです。
弥勒菩薩の別名を「慈尊」とも呼ぶことから慈尊院と呼ばれるようになりました。
天文9年(1540年)紀ノ川の氾濫で慈尊院の堂宇は殆ど流されてしまいました。その際、弥勒壇を現在の位置まで移転し、政所を山上に移しました。
天文13年に再び紀ノ川の氾濫が起こり、移転前の建物は全てながされ、現在の形になりました。
平成16年(2004年)高野山と一緒にユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
慈尊院の見どころ
慈尊院の周りは土堀に囲まれていて県指定文化財に指定されています。
慈尊院の一番の目を引くところは本殿にたくさん奉納されている、乳癌平癒祈願の「乳房型絵馬」です
安産や母乳がよく出るように祈願する方も多く、まさに女性を癒す寺院です。
昭和60年代に慈尊院近くに住み着いていた白い野良犬がいて「ゴン」と呼ばれていました。
朝、慈尊院を発ち、夕方に高野山の大門まで道案内し、夜には慈尊院まで戻る毎日を送っていたため「高野山案内犬」と呼ばれていました。
2006年、ゴンは息を引き取りましたが、あまりにも参詣者から愛されていたゴンを惜しみ、境内にある弘法大師像の横に「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられました。
蓮型の水瓶におみくじを浸して占う「水みくじ」があります。
慈尊院の裏には丹生官省符神社があり、その奥に勝利寺があります。
勝利寺の境内に、天皇や上皇が高野山参詣の宿泊に使われていた建物を利用した、弘法大師が唐から持って帰ってきた紙漉きの技術で作られた「高野紙」の体験資料館「紙遊苑」があり、予約すれば紙漉き体験ができます。
慈尊院の写真
慈尊院のデータ
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