中山寺の歴史
中山寺は聖徳太子が物部守屋、大中姫、麛坂皇子、忍熊皇子の霊を鎮めるために創建したそうで、日本最初の厄神を祀る寺院だそうです。
奈良時代には多数の堂塔伽藍を持つ大寺院であったそうで、「極楽中心中山寺」と言われていたそうです。
西国三十三か所巡礼の開祖である道徳上人が巡礼を上手く広めることができず、御宝印を中山寺の石櫃に納めたと言われています。その270年後、花山法皇により石櫃から御宝印を発見され、西国三十三ケ所巡礼が再興され第二十四番札所にされました。
平安時代末、多田行綱は妻の不信心に悩まされていると、中山寺の観音様が「鐘の緒」を持って改心させ、夫婦は仲睦まじくなったそうです。それ以降、中山寺の観音様に子授かりや安産祈願の信仰が生まれ、安産祈願の霊場として皇族や貴族、武家など深い信仰が集まりました。
天正6年(1578年)荒木村重と織田信長による有岡城の戦いで多宝塔や五重塔が焼失しました。
安土桃山時代には豊臣秀吉が熱心に祈願し、秀頼を授かったと言われています。
幕末には中山一位局が明治天皇を出産する際、中山寺で安産祈願をし、無事出産したことから日本唯一の明治天皇勅願所になっています。
中山寺の見どころ
山門をくぐると、生まれ年の干支によって決まっている守本尊をお祀りした寺院があり、自身の干支に合わせた守本尊を祀った寺院に参拝します。
本堂まではバリアフリーが整備されていて、エレベーターやエスカレーターがあり、身重の人や、身体の不自由な人でも安心して参拝できます・
本堂には西国三十三観音を象徴するように、合わせて三十三面になるよう三体の十一面観音像が祀られています。
江戸時代中後期には本堂の色鮮やかな彩色や彫刻が施されていたものを、平成17年から3年かけて修復されました。
五重塔は珍しい青色をしていて「青龍塔」と名付けられています。
中山寺の写真
中山寺のデータ
宗派:真言宗 中山寺派 大本山
御本尊:十一面観世音菩薩
ご詠歌:野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため
所在地:〒665-8588 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
拝観時間:24時間参拝可能
(祈祷や御朱印などの窓口は9:00~16:00)
入山料:無料
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://www.nakayamadera.or.jp/
(2025年12月現在の情報)
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