三室戸寺の歴史
宝亀元年(770年)、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光が差し込むのを見て、右小弁の犬養に命じて霊光の源を探させました。
犬養は宇治川の支流である志津川に沿って登っていくと、青く澄んだ清淵を見つけました。
清淵に近ずくと中から千手観世音菩薩が出現されたそうです。
犬養は掌を合わせ、深く一礼し清淵に飛び込み御仏を抱き上げました。
都に戻り、天皇に奏上申し上げると、深く感心し、行表禅師を招きこの千手観世音像を本尊として御室戸寺と称しました。
光仁天皇は無比の尊像として勅封にされましたが、桓武天皇が延暦24年に開扉して大供養を営み、白檀木で御自ら千手観世音菩薩像を刻み、尊像をその胎内に納めたそうです。
歴代の天皇の崇敬を集め、伽藍坊舎は年を追って増加しましたが、寛正3年(1462年)出火により多くの堂宇が焼失しました。桓武天皇の白檀の大像は焼失しましたが、胎内の本尊は猛火を脱しました。
光仁、花山、白河の三帝の離宮になった為、「御」の字を「三」に替え、三室戸寺と称するようになりました。
文明14年(1482年)後土御門天皇の勅意で再建が始まり文明19年(1487年)落慶し大法会が行われました。
その後、織田信長により寺領を悉く没収され衰退していきましたが、寛永16年(1639年)道晃法親王により復興されました。
明和年間の頃、再び廃退しましたが、法如和尚によって本堂の改築がなされました。
三室戸寺の見どころ
御本尊は厳重な秘仏で写真も公表されていませんが、本尊厨子の前にはお前立ち像があり、手が二つしかない千手観音像です。
三室戸寺には狛犬ならぬ狛兎があります。兎は大きな玉を抱いていますが玉の中に卵型の石があり、それが立てば願いが叶うといわれています。
本堂前には石で作られた牛像があり、口の中に石の玉があります。これを撫でると勝ち運がつくといわれ、宝勝牛と名付けられています。胎内には牛の木像があり、腹にある覗き窓から見ることができます。
顔が翁、身体が蛇という変わった風貌の宇賀神という像があります。耳を触れば福が来、髭を撫でると健康長寿、尾をさすれば金運が着くと言われています。
三室戸寺の写真
三室戸寺のデータ
宗派:本山修験宗 別格大本山(興福寺)
御本尊:千手観世音菩薩(秘仏)
ご詠歌:夜もすがら 月をみむろと わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波
所在地:〒611-0013 京都府宇治市莵道滋賀谷21
拝観時間:8:30~15:10
入山料:大人1000円 小人500円
駐車場:無し(拝観受付近くにタイムズ有)
公式ホームページ:
https://www.mimurotoji.com/
(2025年12月現在の情報)
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