三井寺の歴史
672年壬申の乱で大友皇子が亡くなりました。子である大友与多王が大友皇子の菩提の為に弥勒像を本尊をとする寺を建てた事から始まりました。
天長6年(829年)唐に留学していた円珍大師が密教修学の道場として三井寺を繁栄させました。
それ以来、皇族、貴族から武家まで幅広く信仰されていましたが、10世紀頃から比叡山延暦寺と対立が激しくなり、延暦寺の宗徒によって50回もの焼き討ちにされました。
さらに戦国時代には豊臣秀吉に寺領を没収され廃寺同然になります。
歴史上何度も起きた苦難を乗り越え、何度も兵火などで焼失したにもかかわらず、復活していることから「不死鳥の寺」と呼ばれています。
三井寺には数々の伝説が残っています。
近江八景の1つ「三井の晩鐘」には龍神の娘が湖畔で蛇を助けた若者と結ばれましたが、竜女と知られ、子供の為に自らの目玉を残し琵琶湖に帰りました。視力を失った龍神の娘に子供の無事を知らせる為に毎日鐘を突くようになったという伝説があります。
金堂の向かいにある「天狗杉」には相模坊道了という僧が修業をしていたある夜、突如として天狗に変身し、この杉に止まり、朝になると東の空に飛び去ったという伝説が残っています。
閼伽井屋には三井寺の名の由来になった、三帝(天智、天武、持統天皇)の産湯に使われた霊験あらたかな井戸があり、閼伽井屋の前に立ち見上げると左甚五郎作と言われる隆の彫刻がありますが、この龍は毎夜、琵琶湖に出て暴れ回ったので左甚五郎が目玉に五寸釘を打ち込み鎮めたという伝説があります。
「弁慶の引き摺り鐘」には弁慶が三井寺から奪い、比叡山に引き摺り上げましたが、鐘が「イノー(帰りたい)」と鳴ったため谷底に投げ捨てたという伝説があります。弁慶の引き摺り鐘にはその時の傷が今も残っていると言われています。
2023年には三井寺所蔵の「智証大師円珍関係文書典籍」と国宝「五部心観」の2点がユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
三井寺の見どころ
三井寺の正式名称は「長等山 園城寺」ですが、三帝の産湯に使われた井戸があることから「三井寺」と呼ばれることの方が多いです。
二つの龍脈が作り出すと言われる風水パワースポットで、琵琶湖のエネルギーも加え日本屈指の特別なパワースポットと言われています。
三井寺には国宝10件、重要文化財42件が指定される質・量が日本屈指の数です、
日本三不動の1つである黄不動でも有名です。
日本三不動:黄不動(三井寺)・赤不動(高野山明王院)・青不動(京都青蓮院)の三つの不動明王画像
大河ドラマ「平清盛」や映画「るろうに剣心」など数々のロケ地にも使用されています。
西国三十三カ所巡礼の14番札所は奥にある観音堂になります。観音堂からは琵琶湖が一望できる絶景が広がっています。
三井寺の写真
三井寺のデータ
宗派:天台寺門宗 総本山
御本尊:如意輪観世音菩薩(観音堂)・弥勒菩薩(本堂)
ご詠歌:いでいるや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
所在地:〒520-0861 滋賀県大津市石山寺1-1-1
拝観時間:9:00~16:30
入山料:大人600円 中高生300円 小学生200円
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://miidera1200.jp/
(2025年12月現在の情報)
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