革堂の歴史
寛弘元年(1004年)行円上人によって一条に創建されました。子を孕んだ母鹿を射止めてしまった上人が、常にその革を纏って鹿を憐れんでいたので革聖と呼ばれていましたので革堂と呼ばれるようになりました。
それ以降、人々からの厚い信仰で栄ましたが保延6年(1140年)に落雷により多宝塔が焼失、その後再建されましたが、仁平元年(1151年)火災により多くの堂が焼失しました。再び復興しますが仁治3年(1242年)住僧による放火でほぼ全焼しまいた。
天正18年(1590年)には豊臣秀吉による都市計画の為、上京区の京都御苑東側に移転しました。
宝永5年に起きた宝永の大火により現在地に移転しました。
革堂の見どころ
京都市内の住宅街にある小さな寺院です。
西国三十三所で唯一の尼寺になります。
幽霊絵馬と呼ばれるものがあり、江戸時代の末に具尾岩治の近くにあった質屋に奉公していた「お文」という女性が、革堂のご詠歌を口ずさみ奉公先の子供の子守りをしていると、その子供がご詠歌を覚えてしまいました。主人は熱心な法華経の信者であった為、お文を折檻し死なせていまいます。慌てた主人は遺体を土蔵に隠し、知らぬ顔でいました。革堂で通夜を営んでいた両親のもとに、お文の幽霊が現れ事の次第を語りました。真相が明らかになり質屋の主人は捕まったという伝説が残っています。お文の愛用していた手鏡がはめ込まれた「幽霊絵馬」は、毎年、六地蔵巡りの時期に合わせて行われる「幽霊絵馬供養」で一般公開されます。
境内には日本最古の七福神巡りである都七福神巡りの一つである寿老人神堂があります。
革堂の写真
革堂のデータ
宗派:天台宗
御本尊:千手観世音菩薩
ご詠歌:花を見て 今は望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
所在地:〒604-0991 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
拝観時間:7:00~17:00
入山料:無料
駐車場:なし
公式ホームページ:
https://kaudau.jp/
(2025年12月現在の情報)
←第十八番札所・西国三十三カ所巡礼TOP・第二十番札所→