正確な創建は不明ですが、日本へ仏教が伝来して直後から始まり、百済経由で日本に献呈された最古の仏像「一光三尊阿弥陀如来」を廃仏派であった物部氏により難波の堀江に捨てられました。
その後、本田善光に拾われ、南信濃の元善光寺へ祀られ、その後現在の善光寺に遍座したと云われています。
平安時代まではほぼ無名の寺でしたが10世紀中頃から文献に登場しだしました。
源平合戦が本格化する直前の治承3年(1179年)善光寺で大火災が発生し、平家物語にも記述されています。
文治3年に源頼朝の命で善光寺は再建し、北条政子からの厚い信仰により広く信仰されるようになりました。
戦国時代になると武田信玄と上杉謙信による争いの舞台となり川中島の戦いでは兵火で荒廃しました。
この時、本尊は武田信玄の手により甲斐善光寺に移されましたが、権威の象徴とみなされ戦国大名はこぞって手に入れようとし、織田信長により武田氏滅亡後は、織田信長の嫡男、信忠により岐阜にある善光寺へ移されました。
本能寺の変の後は織田信雄により尾張の甚目寺へ、その後徳川家康により遠江の鴨江寺に移され、腫れ物で危篤状態になった家康は祟りを恐れ甲斐善光寺へと戻されました。
慶長2年(1597年)豊臣秀吉の命で京都の方広寺大仏殿に移されましたが、翌年秀吉は病を患い床に臥せるようになりました。遍座した武田家、信長、家康などが苦しんだように善光寺如来の祟りだと噂が流布したため、秀吉の死の前日に信濃の善光寺へ返されることが決まり信濃善光寺へと戻ってきました。
江戸時代には参詣者が増加し、伊勢神宮へ参る「お伊勢参り」の帰りに「善光寺参り」が流行りました。
特定の宗派に属さず誰でも受け入れる場所として「一生に一度は参れ善光寺」と云われるようになりました。
西国三十三か所の番外札所としても知られています。
宗派:無宗派(運営は天台宗と浄土宗が共同で行っている)
御本尊:一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
ご詠歌:身はここに 心は信濃の善光寺 みちびきたまへ 弥陀の浄土へ
所在地:〒380-0851 長野県長野市大字長野元善町491-イ
拝観時間:24時間拝観可能
本堂の内覧
お朝事の1時間前から開館、閉所は季節のより変動でほぼ16:00代
入山料:無料
内陣(お戒壇巡り):大人800円 中高校生300円 小学生100円
山門・内陣共通券:大人1500円 中高校生600円 小学生200円
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://www.zenkoji.jp/
(2025年12月現在の情報)