四天王寺の歴史
用明天皇2年(587年)、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間で武力闘争が始まりました。蘇我氏の陣営にいた聖徳太子が白膠木という木で四天王の像を彫り「この戦に勝つことができれば、四天王を安置する寺院を必ず建てる」と誓願しました。
戦は蘇我氏が勝利に終わり、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は誓願通りに四天王寺を建立し始めたそうです。
聖徳太子は日本仏教の祖と言われ、宗派や時代を問わず広く信仰され、四天王寺は太子信仰のメッカになりました。
上皇や法皇がしばしば参詣し発展していきます。
鎌倉時代になると慶安元年(1361年)地震で金堂が倒壊、応仁の乱では放火されました。
天正4年(1576年)には大阪本願寺攻めで織田信長に火を掛けられ全焼。
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉により復興され、息子の秀頼により額安寺から五重塔が移築されました。
しかし、慶長19年(1614年)大坂冬の陣に巻き込まれ町の火が飛び火し、まともや全焼してしまいます。
徳川家康により再度復興されますが、享和元年(1801年)落雷で五重塔や金堂など境内の東半分が焼失しました。
明治時代に入ると廃仏毀釈が進む中、主要伽藍以外の境内地が国有化されます。
昭和9年(1934年)室戸台風で中門、五重塔が倒壊、金堂も五重塔が倒れかかり大きな被害を受け、逃げ遅れた参詣者15人が犠牲になっています。
昭和20年(1945年)太平洋戦争の大阪大空襲でまたもや焼失。
翌年、天台宗から独立し、和宗総本山となりました。昭和23年(1948年)国有化されていた境内地が四天王寺に譲与され復興していきます。
大阪の中心地という土地柄、数々の騒乱に巻き込まれ続けた四天王寺でしたが、昭和38年(1963年)現在の中心伽藍が完成、鉄筋コンクリート製ですが、飛鳥建築の様式を再現したそうです。
四天王寺の見どころ
日本仏法最初の官寺になります。
大阪の天王寺という都会に建つ四天王寺ですが非常に広い境内で、庭園や多くの堂宇・子院があります。
近くには天王寺動物園や、あべのハルカスがあります。
伽藍は「四天王寺式伽藍配置」と言われ、中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、回廊で囲む様式で、最も古い建築様式になります。
伽藍の北側には六時礼讃堂があり昼夜6回にわたり諸礼讃するそうです。
六時礼讃堂の前には石舞台があり毎年4月22日に聖徳太子を偲んで聖霊会舞楽大法要で舞楽が舞われます。
西国三十三か所巡礼の番外札所の御朱印は金堂で頂けます。
四天王寺の写真
四天王寺のデータ
宗派:和宗 総本山
御本尊:救世観世音菩薩
ご詠歌:ありがたや 法のはじめの 天王寺 かめいにうかぶ みほとけのかげ
所在地:〒543-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
拝観時間:24時間拝観可能
お堂・中心伽藍・庭園の内覧
8:30~16:30(4~9月)
8:30~16:00(10~3月)
入山料:無料
中心伽藍:大人500円 高校生300円 中学生以下無料
庭園;大人300円 高校生以下200円 幼稚園以下無料
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://www.shitennoji.or.jp/
(2025年12月現在の情報)
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