丹生川上神社下社の歴史
由緒は不明で、丹生社の鳥居が洪水で流れてきたので、それを御神体として祀ったのが創祀とも云われています。
江戸時代前期に丹生川上神社の所在地考証で、下社背後の丹生山山頂に祭祀遺跡と思われる石群があり、丹生川流域に丹生神社が点在すること、この地域で古くから水神信仰があったことから、「丹生大明神」と称していたこの地が有力となりました。その後、朝廷や幕府もこれを認めるようになり宝永7年(1710年)中御門天皇の勅使が差遣され、祈雨の奉幣がされるようになりました。
明治4年(1871年)官幣大社になりましたが、明治6年(1873年)に少宮司の江藤正澄によって寛平7年(895年)の太政官符に記される場所と違うことが判り、当時の高龗神社を丹生川上神社上社とし、こちらを丹生川上神社下社としました。
ところが大正4年(1915年)現・中社のある東吉野出身の森口奈良吉によって蟻通神社こそ丹生川上神社であったとされ、これが認められ現在のように丹生川上神社は上社・中社・下社の三社で「官幣大社丹生川上神社」とされました。同時に下社の御祭神は高龗神から闇龗神に改められました。
丹生川上神社下社の見どころ
丹生川上神社は絵馬発祥の神社と云われ、雨乞いには黒馬を、雨止めには白馬または赤馬が生贄として奉っていました。それが絵に描いた馬に変わり「絵馬」が始まったと云われています。その後、水神信仰が絵馬発祥の起源と伝わり、京都の
貴船神社へと受け継がれました。
現在でも下社では2頭の神馬が飼われていて「白龍」と「黒龍」に会うことが出来ます。
本殿は拝殿から75段の階段で結ばれていて下から眺める姿は神々しいものがあります。
境内には牛石と蛙石が並び、牛石は形が牛に似ていることから牛石と呼ばれるようになり、大正天皇の御大典の奉祝記念で丹生の若者によって丹生川から人力で引き上げ奉納されたものだそうです。蛙石は立ち上がった蛙に似ていることから蛙石と呼ばれるようになりました。牛石は人生や商売も牛歩のように、蛙は物を瞬時に捉える瞬発力を持つようにと、牛の静と蛙の動の対照的な性格を持つ石を並べて置いているそうです。
産霊石は男性と女性の性器が重なったような石で、参拝した若者が子宝に恵まれ、丹生川で禊をしていて見つけた石を奉納したそうです。
御食の井では御神水の「いのちの水」が頂けます。
人形祓いができ、紙で作られた人形に名前を書き、両肩と身体の痛い場所を撫で、息を吹きかけ「発祥到福の石」から湧き出る水に流すことで心身を清める祓いの儀式です。
社務所横の「たらようの木」は葉の裏に文字を書けることから「はがき」の語源になったそうです。
丹生川上神社下社の写真
丹生川上神社下社のデータ
主祭神:闇龗神
所在地:〒638-0021 奈良県吉野郡下市町長谷1-1
参拝時間:24h参拝可能(社務所 8:00~17:00)
参拝料:無料
駐車場:あり
公式ホームページ:なし
(2026年1月現在の情報)
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