玉造稲荷神社の歴史
垂仁天皇18年(紀元前12年)に垂仁天皇によって創建され比売神社と称していました。
蘇我氏と物部氏の戦いで、蘇我氏方の聖徳太子が戦勝を祈願し、勝利のあと観音堂を建てたとも云われています。
大阪城の三の丸で鎮守社として豊臣家から篤い信仰を受けて豊津稲荷社となりました。天正4年(1576年)戦火で荒廃しましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建されましたが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で再び焼失しました。
元和5年(1619年)内藤信正や氏子の寄進で再建されました。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされました。
昭和20年(1945年)第二次世界大戦の大阪大空襲で焼失し、昭和29年(1954年)再建され、玉造稲荷神社となりました。
玉造稲荷神社の見どころ
真田紐は真田幸村が九度山に隠居していた時に作っていたと云われ、刀でも切れない程に丈夫だと云われることから
、縁が切れないようにと真田紐で作られた「縁のひも」を授与していただき「縁に関わる願い事」を書き紐かけ台に結んで祈願するそうです。
日本書紀にも記されているそうですが勾玉を作っていたので「玉造」と呼ばれ、境内には難波・玉造資料館があります。(事前予約制)
聖徳太子が戦勝祈願の為に栗の白木を挿し、後に栗の白木から見事な枝が出て勝利した為、観音堂を建立した言い伝えがあり、現在は度重なる焼失で無くなりましたが、境内には「聖徳太子 偲び石」があり、偲び石の前に授与していただいた「太子の栗白木」というお守りを挿し、勝利や合格を祈願するとご利益があるそうです。
小野小町が玉造稲荷を詠っていたことから小野小町歌碑があります。
伊勢参りの出発点としてなっていたことから記念碑があり、旅人が安心して旅ができるよう現在の協定旅館の基礎となった浪花講という組織が玉造で創業され全国に広まっていきました。
豊臣秀頼が奉納したという背の低い鳥居があります。元々は普通の鳥居でしたが、阪神淡路大震災で基礎に損傷を受けました。石製の鳥居としては四天王寺の正門に並ぶ古さということで、上部と脚部だけ保存されることになったそうです。
玉造稲荷神社の写真
玉造稲荷神社のデータ
主祭神:宇迦之御魂大神
副祭神:下照姫命・稚日女命・月読命・軻遇突智命
所在地:〒540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2丁目3-8
参拝時間:24h参拝可能(社務所9:00~17:00)
参拝料:無料
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://www.inari.or.jp/
(2026年1月現在の情報)
パワースポットへ