伏見稲荷大社の歴史
和銅4年(711年)全国的に天候不順による作物の不作で勅命により稲荷山に大神を祀り、五穀が稔っったことで伏見稲荷神社が創建されたことが始まりだそうです。
天長4年(827年)淳和天皇が病に倒れ占ったところ、東寺の棟を建てるために稲荷山の樹を伐ったことの祟りであることがわかり、神階が下賜されました。延長5年(927年)には二十二社の上七社になり、京の街からも近いこともあり参詣者を多く集めました。
鎌倉時代に入ると神仏習合が進み東寺との関りが深くなりました。仏教系の伝承で狐が伏見稲荷の眷属とされるようになりました。
永享10年(1438年)それまで山頂にあった稲荷の祠を後花園天皇の勅命で麓へと移されました。
応仁元年(1467年)応仁の乱が始まり、翌年に西軍によって山上の建物を含め全てが焼き尽くされました。
豊臣秀吉が母である大政所の病気平癒を祈願し成就したことで大規模な寄進が行われ、現在も残る楼門が建立されました。
江戸時代に入ると商人達による商いの成功祈願で人気になり、結願の礼に赤い鳥居を奉納する習慣が広まり膨大な千本鳥居を形成するようになりました。境内には愛染寺や浄土宗の浄安寺、西光寺が建ち神仏習合は益々進んでいきました。
慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いで戦火に会いかけましたが、新政府軍によって北上を阻止され被害を免れました。
明治時代になり神仏分離によって愛染寺は閉門、浄安寺と西光寺は廃絶、仏堂に仏像が廃されました。東寺神供えも一時廃止されましたが復興され現在も残っています。
伏見稲荷大社の見どころ
小さな祠まで合わせると3万社以上あり、日本で一番多い神社である稲荷神社の総本山です。
豊臣秀吉によって建立された楼門(重要文化財)を抜けると本殿(重要文化財)があり裏手から奥社まで千本鳥居が続きます。
奥社には「おもかる石」があり願いが叶う日が近いか遠いか占えます。
奥社から奥も鳥居は続き、稲荷山を周ることができます。
根上がりの松と呼ばれるものがあり、根が地上に出ていることから名付けられました。腰や膝の傷みが治るというものと、株の根が上がると二の全く違うご利益があるとされています。現在は樹としての寿命が尽き、幹から根にかけてが保存されています。
四ツ辻から二手に分かれ時計周りと反時計周りで稲荷山を周ることを選べますが正式には時計回りで周るのが正解だそうです。ですが時計回りはアップダウンが激しく、反時計回りのほうが体力的には楽です。
奥社までなら往復1時間ほど、稲荷山のお山巡りでは2時間以上かかります。また外国からの観光客が非常に多い神社で、千本鳥居で立ち止まって記念写真を撮ることが多いのでもっと時間がかかる日もあるようです。
伏見稲荷大社の写真
伏見稲荷大社のデータ
主祭神:主祭神:宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神
摂社祭神:田中大神・四大神
所在地:〒612-0882 京都府伏見区深草藪之内町68
参拝時間:24h拝観可能
参拝料:無料
駐車場:あり
公式ホームページ:
https://inari.jp/
(2026年1月現在の情報)
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